大澤静枝

おおさわしずえ

昭和10年に東京高等技芸学校を卒業。のち昭和17年に大妻技芸学校専攻部裁縫科を卒業。国民学校、地方教官、中学校へ教員や教諭として従事し、昭和23年には長崎県壱岐市に私立専修学校(壱岐高等家政学院)を設立し学院長となる。学院は被服科として戦後から60年余り女子教育に貢献。和裁・洋裁の各種資格検定の道を開き、大学入学資格校としての実学教育の中に、常に人間教育にも意を用い「敬・信・愛」を教育理想に掲げ、社会奉仕の大切さを説きながら、数多くの有為の人材を世に送り出した。また俳句をたしなみ、水彩画、日本画を伊藤深水氏に学び、昭和37年依頼、群展・県展などの美術展覧会へに出品しその度に受賞。毎年個展を開催するなど芸術文化への造詣が深かった。


昭和10年7月 東京高等技芸学校入学。
昭和13年7月 同校卒業。
昭和17年4月 大妻技芸学校専攻部裁縫科入学。
昭和18年10月 同校卒業。
昭和19年3月 壱岐郡那賀村国民学校助教。
昭和15年7月 国民学校専科訓導。
昭和20年3月 霞翠国民学校助教。
昭和20年9月 勝本実践女学校指導員。
昭和21年3月 国民学校教員免許。
昭和21年6月 地方教官、勝本実践女学校勤務。
昭和22年4月 勝本中学校教諭。
昭和23年4月 創立。 学院長大澤静枝により、芦辺町国分に大妻コタカ女史に塾名を授かり、静修女塾として発足。
昭和24年4月 現所在地に校舎建築移転。
昭和25年8月 長崎県知事の認可校となり、静修技芸女学院と改称。
昭和33年4月 長崎県各種学校連合会加盟。
昭和34年3月 校舎一棟増築。 三年制度とする。
昭和34年10月 全国各種学校連合会加盟。
昭和35年4月 壱岐高等技芸学院と改称。
昭和36年7月 全国和洋裁学校連合会加盟。
昭和36年10月 本科卒業生に高等学校家政科卒業資格が認められることになる。
昭和39年8月 卓球室兼図書室を増築。
昭和43年4月 創立二十周年を迎う。
昭和44年5月 日本洋裁技術検定受験校となる。
昭和44年10月 長崎県唯一の労働大臣指定校となる。職業訓練指導員の受験資格を与えられる。
昭和45年10月 多年公衆衛生思想の高揚と実践により知事表彰を受く。
昭和45年12月 文部省認可日本洋裁検定協会認定校となる。
昭和46年8月 全日本服装学校連合会指定校となる。
昭和46年9月 全国服装学校協会より技能認定、教員資格認定校の指定を受く。
昭和47年3月 永年道路清掃と助け合い運動により全国奉仕会長表彰を受く。
昭和47年4月 和裁技能資格検定受験校となる。
昭和47年8月 多年道路美化清掃により建設大臣より感謝状を受く。
昭和50年2月 学院長、郷ノ浦町長より教育功労賞を受く。
昭和52年8月 多年にわたり共同募金に協力福祉事業の増進の寄与により長崎県共同募金会長より表彰を受く。
昭和52年11月 学院長、長崎県知事より教育文化功労賞を受く。
昭和53年2月 専修学校に昇格、高等課程を施く。 (三年全日制)
昭和53年4月 創立三十周年を迎う。
昭和53年6月 学校名を壱岐高等家政学院と改称。
昭和54年9月 校舎鉄筋コンクリート二階建増改築。
昭和54年11月 学院長、長崎県知事より永年長崎県の子弟の教育に大きな役割を果たした事により感謝状を受く。学院長、長崎県私立学校連合会より永年勤続により表彰を受く。
昭和55年12月 NHK歳末たすけあい運動協力により長崎県共同募金会長より感謝状を受く。
昭和56年1月 長崎県職業訓練家政科委託校となる。
昭和60年11月 学院長、文部大臣認可全国専修学校協会より永年服飾教育の振興に尽くし功績を挙げた事により教育功労賞を受け顕彰される。
昭和61年5月 学院長、日本社会教育連盟より社会教育指導士及び家庭教育指導士の資格を与えられる。
昭和61年8月 文部大臣より大学入学資格校として指定される。
平成10年8月 創立五十周年記念行事 大澤静枝遺作展、生徒作品展開く。

専修学校壱岐高等家政学院 創立50周年記念「大澤静枝ー想い出の日本画集」
専修学校壱岐高等家政学院 創立50周年記念「大澤静枝ー想い出の日本画集」

専修学校壱岐高等家政学院
創立50周年記念
「大澤静枝―想い出の日本画集」

平成10年8月10日発行
著者:大澤静枝
発行者:大澤賢正
印刷:㈱昭和堂印刷