バーチャル・リアリティー

2016年、ヘッドマウントディスプレイが各社から一斉に一般発売され、”VR元年”と称されることとなりました。

実は、VRの研究自体は1960年代から存在しています。ぼくにとっては、インターネットとバーチャル・リアリティについて小論文を書いたのが高校生3年生の時ですから、かれこれ27年間、とにかく手持ち無沙汰だった印象。今、全世界が浮足立っているのは、それだけ多くの人が待ちわびていたせいもあるかもしれません。

「Björk Digital ― 音楽のVR・18日間の実験」

2016年6月、日本科学未来館で開かれたVRのエキシビションへ参加してみました。「Björk Digital ― 音楽のVR・18日間の実験」

確認した点は

実写VR
・自由に移動が出来ないこと。
・没入した世界には、カメラもスタッフも見当たらず、自分の身体もないこと。
・映像は全てにフォーカスがフリーで合っていないと、画面までの距離感が発生すること。被写界深度が狭かったりするとダメ
・画質や画素数は、問題ではなさそう

CGVR
・移動や影響が出来る。
・多分、自分の体も存在させれる。

映画文法は使えないよ

VRの世界は、映画で用いられてきたような表現手法は、一通り使えない世界です。とりわけ、構図、パンニング及びティルト、パンフォーカスは、意図した効果を出せません。となると、モンタージュによる表現も困難です。

どうやら、VR映画を楽しむようなことにはならなさそうです。もしあるとしたら、VR独自のコンテンツ。小説は文庫本、映画は映画館、VRはヘッドマウント。つまりVRは、あくまでもVRとして。敢えて言うなら、VRの世界で映画を撮影したり、映画館に足を運ぶようなことはありそうです。

ビョークが2人きりの海で、自分だけに歌ってくれている感覚。そして実験映像のとして様々な刺激とフレッシュさがあって、映像と芸術を志した者として大変感動した。ヘッドマウントの中で涙が止まらなかったのは、多分両方のせいだ。

どうでもいいけど、プライベートで参加してる芸能人が多かった。やはり業界人の方がVRに興味があるのかな?

これはなかなか、どういう内容か伝えるのが難しい。やってみてくれないとどうしょうもない感じがする。観たというのとは違う、”体験”だからだと思う。

しかしながら実写VRでは、どこまで臨場感が出せたとしても、最終的には、触ったり、海へ飛び込んだり食べたりは出来ない。ギリギリまで与えられて叶わない馬の前に吊るした人参のようだ。欲求は、磁力のように臨場感が現実に近い程強まるのではないか。嫌な事も好きな事も。