壱岐島の西側は、夕陽が水平線へ落ちる。その日の雨上がり、薄目を閉じていくような夕日だった。

(c)2020 Tomoko.Uji ウジトモコ
(c)2020 Tomoko.Uji ウジトモコ

物事をネット上に記録したいという衝動は、だれかと共有したいというコトが原動力になっている。自分だけが知るためなら、ただ覚えていればいいだろう。

会社を立ち上げ、会社のドメインを取得して活動を公開したのは、20代のころだった。その時点で、名前も年齢も顔写真もやってることも公開されている状態となった。だがそれは、事業を営む上で必要な情報公開。顧客に必要な情報でもある。ぼく個人の素性が常に公開されている。それが当たり前だった。

(c)2020 Kunio.Osawa 大沢くにお
(c)2020 Kunio.Osawa 大沢くにお

その後、SNSが登場して、個人のだれもが情報公開する時代になった。しかしどうも皆のアイデンティティは混沌として、ストレスを抱えているように思う。流れていくSNSのタイムラインへの個人の記録が何なのか、未だ多くの人は殆ど衝動的で整理出来ていないんだ。

いつもそばにいる人がいて、全ての瞬間を共有している人がいて、認めてくれて、それで十分なら、もしかするとそのぶん、みんな個人の情報化の必要はなくなるのかな。